東京都美術館開館100周年記念 「アンドリュー・ワイエス」展

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アンドリュー・ワイエス展 美術展・写真展
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この企画展では一部作品に限って写真撮影OKです。対象作品を確認して撮影してください。
また、三脚・フラッシュNGなどの注意事項にも従ってください。

展示内容

公式サイトの説明によると

20世紀アメリカ具象絵画を代表する画家アンドリュー・ワイエス(1917-2009)。
第二次世界大戦後に脚光を浴びたアメリカ抽象表現主義、ネオ・ダダ、ポップアートといった動向から距離を置き、ひたすら自分の身近な人々と風景を描き続けました。
その作品は眼前にある情景の単なる再現描写にとどまるものではなく、作家自身の精神世界が反映されたものとなっています。
彼の作品には、窓やドアなど、ある種の境界を示すモティーフが数多く描かれます。
境界は、西洋絵画史のなかで古くから取り上げられてきたテーマですが、ワイエスにとってはより私的な世界との繋がり、あるいは境目として機能しています。
本展は、その境界の表現に着目して、ワイエスが描いた世界を見ていこうとするものです。

とのこと。

展示構成は以下の通り。

  • Ⅰ ワイエスという画家
  • Ⅱ 光と影
  • Ⅲ ニューイングランドの家:オルソン
  • Ⅳ まなざしのひろがり
  • Ⅴ 境界あるいは窓

アンドリュー・ワイエスの父(N.C.ワイエス)は著名な挿絵画家で、かなり裕福だったそうです。アンドリューはそんな父から絵画の指導を受け、確かなデッサン力・技術を習得したとのこと。今回の企画展でもワイエスによる多くの習作・素描を観ることができますが、オルソン家の窓だけでも何枚も描いていて、その力量がうかがい知れます。

裕福だった父は、ペンシルヴェニアの他にメイン州にもサマーハウスを所有していて、アンドリューは子どもの頃から両地域を行き来し、その中で身近な人々と風景を描くようになったのでした。

アンドリュー・ワイエス展

しかし、そんな父が踏切事故で亡くなってしまいます。さらには自分自身も大病を患い、死の淵を彷徨うことに。そのような経験からアンドリューは「死」を身近なものとして意識するようになり、無常感のようような諦念に似た感覚に囚われ、それが作品にも表れています。

彼の描く作品には人物が余り登場しません。それでいて誰かが、いや、その人がそこにいたということを感じさせるシーンが多いのです。「乗船の一行」では、乗船客の待合室と思われる部屋のテーブルが無人になっていて、明るく輝く窓の外に停泊している船にもう乗客が乗り込んでいる、なんてことを思わせるようになっています。
ちなみに、このような“匂わせ”的(?)タイトルの多くは妻のベッツィ・ジェームズ・ワイエスによるものだとか。彼女はワイエスの作品を世に送り出す有能なプロデューサーでもあったそうです。

アンドリュー・ワイエス展

匂わせパターンもここまで行くとちょっとやり過ぎに思える作品も。モデルを立てて描こうとしていたのに、その人物を表現するには本人を登場させるよりも、来ていたシャツだけの方が良いと思ったらしい。ここまで来ると、そのモデルさんがどういう気持ちになったのかちょっと心配になっちゃいますが。。。

アンドリュー・ワイエス展

ワイエスは多くの建物を描いています。多くの、といっても対象になっている建物自体は、クリスティーナの家だったオルソン家、そしてワイエス家のサマーハウスなど特定のものばかり。それらの家を微に入り細に入り描いているのです。
中でも、窓を描いた作品が多数。開いた窓、屋内から外の明るい光が差し込む窓、ガラスがなくなってしまった窓などなど。窓は、その屋内や外に何かがあることを想起させる存在。そして、外と内との境界でもある。生と死の境界は繋がっていて、どちらも身近なものなのだということなのかも知れません。

アンドリュー・ワイエス展

そこに「境界」を見いだした題材は窓だけではなく、池や水たまりに張った薄氷もそう。氷を通して見る落ち葉に対して、氷の上に一枚だけ乗っている落ち葉はくっきりと描かれている。だが、時とともにその一枚も氷の向こう側に取り込まれて行くのかもしれない。ここでも境界の曖昧さ、連続性を感じさせます。

アンドリュー・ワイエス展

「扉」も同様に、多く描かれていました。窓もそうですが、扉の外と内側での明るさの違い、光と影がまさに「生と死」をイメージさせるのでしょう。

アンドリュー・ワイエス展

「納屋の猫たち」と題された作品に猫はいません。代わりに、彼ら・彼女らの餌を入れる器が左下にいくつか並んでいます。猫たちは、暗い納屋から明るい陽射しの降り注ぐ外の世界へと出ていった後のようです。

アンドリュー・ワイエス展

珍しく(?)人物が描かれた作品。妻のベッツィが窓の外で双眼鏡を構え、何かを観ているシーン。それを窓の内側からワイエスは見ているのでしょう。彼女の視線、しかも双眼鏡によって遠くまで(未来まで)見通している視線を通して、ワイエスは外の世界を観ていたのかもしれません。それだけ彼女に信頼を置いていたのかも。

アンドリュー・ワイエス展

そんなワイエスですが、女性の「美」にも惹かれていたようで、隣人・友人の女性をモデルに描くこともあったようです。開け放たれた窓からの光で、横たわる女性はミューズのようにも見えます。

アンドリュー・ワイエス展

感想

アンドリュー・ワイエス展

ある世代だと、英語の教科書に「クリスティーナの世界」が取り上げられていたので、それでアンドリュー・ワイエスを知ったのではないでしょうか。遠くの家に向かって這うようにしている女性の後ろ姿は印象的で、今でも記憶に残っている。

アメリカの絵画というとモダンアートか抽象絵画というイメージがあるけど、アンドリュー・ワイエスは一貫して自分の故郷や別荘のある土地の風景を描いている。しかも、多くの作品でテンペラという“古風”な手法が用いられている。さらには、同じ主題を数十年に渡って追い続け、描き続けている。我が道を貫いたその行き方は、それだけでも驚きだ。

「世の無常」を説いているような彼の作品。朽ちていくオルソン家や、老いでやがて死んでいく知人たち。諸行無常とも言えるものが主題のようだ。アンドリュー・ワイエスの作品が日本でも根強い人気があるのは教科書で紹介されたからだけではないでしょう。いや、だからこそ教科書にも取り上げられたのかも。異なっていると思われるアメリカと日本の文化。でも、一人の画家の作品を通して、人としての感覚は両国で同じなんじゃないかと気づかせてくれた。

“アンドリュー・ワイエスの世界”を堪能した企画展でした。

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