下北沢・代沢 記憶散歩

散歩写真

フラジャイルな街

下北沢周辺は、近年の小田急線地下化に伴って大きく街の様子が変化しました。いや、今も変化は継続中。
この街は、そんな大がかかりな再開発がない時から、店舗の入れ替わりが激しく、開店したと思ったらすぐに潰れちゃう店も少なくない。急に空き地がポンとできてしまい、そうなるともうそこにどんな店があったのかも分からなくなってしまう。ましてや次の店が出来てしまうともう前の店がどんなだったかは忘却の闇に溶け込んでしまいます。

正月の午後、そんな街をブラブラして写真を撮ってみました。今はもうなくなってしまった店の記憶を蘇らせつつ。

下北沢周辺

新たに出来た「東口」を出たところ。ここには昔、“闇市”と呼ばれるマーケット街がありました。父の話では、戦後に出来た闇市がそのまま残っていたそうです。アパレルの「アメリカ屋」ではよく買い物をしましたよ。 川魚や貝類を扱っていた「ナガヌマ」では、父がホヤだのナマコを買っていた。私は釣り具の「山口」に子供の頃、よく通ったな。そこで釣り竿や仕掛けを買って、多摩川で釣りをした記憶が。

下北沢、代沢通り(茶沢通り)記憶散歩

線路沿い、この辺にそろばん塾があった。小学生の頃かな、なぜか通ってました。やがて計算機が普及し始め、これは意味がないなとやめちゃいました。

今は南口に移転してしまった洋菓子の「つくしや」がこの辺りにありました。当時は喫茶コーナーを併設していて、ケーキを食べながら珈琲が飲めたのです。おばあちゃん子だった私は、よく祖母に連れられて、プリンだのエクレアだのを食べたものです。意外とハイカラ趣味だった祖母は、モンブランがお気に入りだったかな。あと、ソーダ水にアイスクリームを乗せたソーダクリームが好物でした。

茶沢通り(代沢通り)ぶらぶら

下北沢から三軒茶屋まで続いている茶沢通り。私が子供の頃は「代沢通り」と呼ばれていました。通りの名前、街の名前って行政の都合で変えちゃうんでしょうけど、ちょっと寂しい気もしますね。
正月だったので車の通りもなく、静かな佇まい。この通りが「代沢通り」と呼ばれていた頃はまだ舗装されていなかったんですよ。自動車もたまに通る程度で、毎日がこんな感じでした。土がむき出しの道。いやぁ、この姿からは想像できませんね。

そんな未舗装だった頃に、街の有名人がいました。「やっちゃん」と呼ばれていた彼は、少々頭が弱い人だったようで、たまに大声を出しながら通りを闊歩していたんです。たまに自動車が通るんですが、彼は車道の真ん中を平気な顔で歩いていて、クラクションを鳴らされると怒鳴り返してました。
子供の私には怖い存在だったんですが、私の父は知り合いだったらしく、やっちゃんがニコニコ笑いながら話しかけてくるんです。どういう人だったのだろうか、彼は。今度、父に尋ねてみるかな。

このマンションの一階に、かつては「海」という名前の料理屋があり、よく家族で食事をしたものです。

今は沖縄料理屋になってしまったここに、昔はパン屋さんがありました。「丸十製パン」。アンパンマン認定パン屋だったので、キャラクターを模したパンはうちの子どもたちのお気に入りでした。さらに私が子供の頃にもさんざんお世話になり、スクランブルエッグをハムで巻いたものを輪切りにしてパンに挟んだ奴(名前、なんだったかなぁ)は累計で百本以上は食べたんじゃないかな。

一階が居酒屋になっているこのビル。昔は旅館でした。その頃の下北沢は今とは考えられないほど静かな街。そんな街にどんな人がどんな用事で泊まったんでしょうね。

ここは材木屋さんだったかな。畳屋さんもあった気がするけど、記憶が曖昧。

ここは「岸田理髪店」だったところ。今は通りの反対側に店舗を移し、「Barber KISHIDA」として営業中。
ここに店舗があった頃は先代のおじさん・おばさんが現役だった時代で、物心着く前から私も通ってました(今も二代目にお世話になっているんですけどね)。子供だったもので、長時間じっとしていられなかったんでしょうね、だいぶ迷惑をかけたみたい。でも、終わったら「良い子だったね」と飴をくれたんですよ。それが楽しみだったな。

確か、ここには「大井川」という鰻屋があったはず。死んだ祖父が鰻が好きで、よく出前をしてもらってました。週に一回は食べていたんじゃないかな。その頃はまだ鰻って、庶民的な値段だったんですよ。今では絶滅危惧種になっちゃって、信じられないくらい高価な食べ物になっちゃいましたけど。

今はローソンになっているここは豆腐屋でした。

バーミヤンが入っているこのマンション、昔は木造のアパート。かなり大きなアパートだったんですが、火事で全焼してしまったんです。野次馬精神旺盛な父に連れられて“見物”した記憶が。炎に包まれて屋根が崩落していく様子はかなり怖かったな。

ここには、角に肉屋、その隣に菓子屋がありました。肉屋の息子とは幼なじみで、彼は一つ年上だったけど、毎日のように遊んでいた。菓子屋には同級生だった女の子と、少し(かなり?)“やんちゃ”な弟がいたはず。彼らは今頃どうしているのだろうか。

今は自転車屋さんをやってますが、昔は八百屋でした。商売替えをして頑張ってきたけど、今年廃業しちゃうらしい。寂しいものです。

今もうっすらと看板が残っている「南蛮亭」。ピリ辛ラーメンが美味しかったんですが、親父さんが身体を壊してしまって廃業。残念。
その「南蛮亭」の前は本屋さんでした。姉妹二人でやっていた記憶が。ここでは、小学館の学年別学習雑誌を六年間、毎月買ってました。今はもう廃刊になっちゃったのかな。「小学一年生」から「小学六年生」まであって、毎月の附録が楽しみだった。

街の記憶を留める

ということで、散歩写真とともに昔話をしてみましたが、この景色も数年たてばすぐに変わってしまうかも。「アパートが火事になって、今はバーミヤンの入っているマンションになった」と書いたけど、そのマンションも二代目。家事のあとにアパートが建って、それがマンションに変わったはず。もう、二サイクル、三サイクル目という訳。

住宅街の方でもそんな調子ですから、再開発中の下北沢駅周辺はこれからもどんどん変わっていくのでしょう。街にとっては、新陳代謝とみればそれは良いことなのかも知れない。それにこうやって「昔はこうだった」の思い出話のネタにもなるし。素直に歓迎しましょう。

五年くらいたったら、また同じ景色を撮ってみようかな。その頃には何軒、残っているだろうか。

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