「杉本博司 絶滅写真」展 at 東京国立近代美術館

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「杉本博司 絶滅写真」展 at 東京国立近代美術館 美術展・写真展
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この企画展では写真撮影OKです。ただし、三脚・フラッシュNGなどの注意事項には従ってください。

展示内容

公式サイトの説明によると

様々な領域で活動する現代美術作家、杉本博司(1948-)。小田原文化財団 江之浦測候所をはじめ建築分野でも活躍し、日本の古典芸能など舞台芸術の演出では国内のみならずヨーロッパ数都市やニューヨークにも進出。その活動分野は書、陶芸、和歌、料理と多岐にわたっています。

そんな多才な杉本の芸術の原点は銀塩写真にあります。確たるコンセプトに基づく、独自の表現による作品はまた、銀塩写真の技術としても頂点を極めるものであり、写真がデジタルに置き換わった今、その技法は今やまさに「絶滅が危惧される」ものと言えます。

本展では杉本の初期(1970 年代後半)から現在に至る銀塩写真約60点を展観します。

とのこと。

展示構成は以下の通り。

  • 1章 時間・光・記憶
  • 2章 観念の形
  • 3章 絶滅写真

「ジオラマ」シリーズは、アメリカ自然史博物館のジオラマを写した作品。なんの予備知識もなしにこの企画展を観に行ったので、「絶滅写真とは銀塩写真のことだろう」とは思っていたけど、被写体というかテーマとなっているものも“絶滅したもの”だったとは。まあ、このシリーズは1980年頃から始めたそうですから、その頃はこんなにも急激に銀塩写真がデジタルに置き換わっていくとは思っていなかったでしょう。そう考えると、銀塩写真だから、ということはあまり考えないでいいのかも。

博物館のジオラマだから“ホンモノっぽい”のは当たり前かもしれない。だが、それを改めて写真に収めるとさらにリアリティが加味されている。なんとも不思議な感覚だ。

「杉本博司 絶滅写真」展 at 東京国立近代美術館

ムブティ・ピグミーはアフリカで今も狩猟採集をして暮らしている人々だそうです。「人類の進化」の中にこのジオラマが作られているのは、彼らを“現代人”から見て“進化の途上”と考えている節がありますね。杉本博司氏がどのような意図でこのシーンを自分の作品に含めたか分かりませんが、そのような意図を感じ取って、敢えて自分の作品として残したのかもしれません。

アメリカ自然史博物館としても最近になって人種差別的な過ちを公式に認め、展示内容を変更している最中だとか。でも、それは国内のネイティブ・アメリカンに対するものがほとんどで(ネイティブ・アメリカン墓地保護・返還法などのため)、アフリカやアジアの人々に対する対応はまだまだだそうです。人種差別の思想こそ、絶滅してほしいものです。

「杉本博司 絶滅写真」展 at 東京国立近代美術館

廃墟となった劇場のスクリーンに映画を丸々一本分映写し、それを長時間露光して一枚の写真にしたシリーズ。輝いた画面だけのように見えますが、ここに映画一本分の光が含まれている訳です。
座席や装飾が全て崩れてしまった元・劇場ですが、かつての輝きや賑やかさを真っ白な画面から感じられる気がしてきます。

「杉本博司 絶滅写真」展 at 東京国立近代美術館

色々な海の水平線。それらを横に並べて展示すると。。。
説明によると、水平線は過去も今も変わりないが、原始人が見ていた風景を現代人も同じように見ることができるか?という問いが含まれているのだとか。
プレートテクトニクス理論によると、大地はプレートの動きによってくっついたり離れたりしている。海岸線は変化し、海も繋がったり、途切れたりした。
だが、空と海しか見えない水平線の景色はいつ、どこで見ても同じなのではないか。

「杉本博司 絶滅写真」展 at 東京国立近代美術館

建築物は芸術作品であるとは、あまり異論がないだろう。建築家が頭の中で描いたイメージが形になったものが建築物だ。杉本博司氏はそんな脳内イメージを“再現”するのに、敢えて焦点をずらしてボケた写真を撮ることで形にした。
ル・コルビュジエの頭の中のサヴォア邸はこんな感じなのだろうか。確かに、こうやってボケていると、ホンモノの建物なのに模型のようにも見えてくる。今風に言えばリバースエンジニアリングなのだろうか。

  • 「杉本博司 絶滅写真」展 at 東京国立近代美術館
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「ディニ曲面:擬球をねじって得られる負の定曲率曲面」と名づけられたこの作品。数式で表される幾何学形状を実際に形にした模型。そしてそれを被写体にした写真。抽象的な概念を形に表した模型は美しさも持っている。

「杉本博司 絶滅写真」展 at 東京国立近代美術館

人をモデルにした模型(マダム・タッソー蝋人形館の蝋人形たち)を写した写真にも美はあるのか。美というよりはリアリティが勝っているように見える。
もちろん、十二世紀の人であるリチャード一世を写した写真などあるはずがない。でも、カストロと並んでいるその姿に違和感がない、という違和感がある。

  • 「杉本博司 絶滅写真」展 at 東京国立近代美術館
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静電気による放電。冬の時期にはこれに悩まされる。写真の現像の際にも放電によってフィルムが感光してしまうので厄介だ。だが、敢えてその放電(だけ)を写したらどうなるのか。そう、こうなった。
銀塩写真にとって宿敵のような静電気。もちろん、デジカメやパソコンも落雷などの強烈な電気には敵わない。だが、ちょっとした静電気の放電程度では壊れないだろう。もちろん、だからと言って銀塩写真が絶滅する原因とはなっていないだろうけど。いやいや、逆にこうやって静電気の放電をも味方にしてしまえるのだから。

  • 「杉本博司 絶滅写真」展 at 東京国立近代美術館
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感想

さて、結局のところ何が絶滅している(した)のだろうか。銀塩写真の終焉が近いことは明らかだろうが、人類の進化が幻影(思想の絶滅)で、太古の昔から何も変わっていないということか。建築や数学という人間の知性による想像力が衰えていっている(絶滅に向かっている)ということか。

それぞれの作品はとても興味深く、観ていて色々なことを考えてしまうものばかり。面白かった。だけど、共通のテーマ(絶滅?)で全てを括るのは難しい。水平線に絶滅というワードが加わると、あの水平線が急に盛り上がってきて津波が襲ってくるというイメージが湧いてしまう。最後に見た景色、というところだろうか。時代とともに言葉の持つ意味や、人々の共通認識(いわゆる“常識”)は変わっていく。写真家が全く意図していなかった意味が作品から読み取られてしまうのかもしれない。鑑賞者からすればそれもまた自由だし、悪くはないでしょう。

と、よくわからない感想をつらつらと書いてしまったけど、とても面白い写真展ではあったけど、同時になかなかに難しい“主題”でもあったというのが本音。とにかく、観てもらわないと私がなぜ混乱しているのかも分からないかも。是非、あなたも自分の目で見て考えてみてくださいな。

写真展情報

「杉本博司 絶滅写真」展 at 東京国立近代美術館
  • 会期 : 2026/6/16(Tue) – 9/13(Sun)
  • 開館時間 : 10:00 – 17:00 (金・土曜日は10:00 – 20:00)
  • 休館日 : 月曜日、7/21 (7/20は開館)
  • 料金 : 一般 2,300円 、 大学生 1,200円、 高校生 700円、 中学生以下は無料
  • 公式サイト : 【公式サイト】杉本博司 絶滅写真 | 東京国立近代美術館
  • 図録: 4,400円(税込)
  • 参考書
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