映画.com – 映画のことなら映画.comのチケットプレゼントに当選し、中国ドキュメンタリー映画祭で上映している「名無しの子」を観てきました。
★ あらすじ
第二次大戦末期の中国東北部には、日本によって造られた“国家”満州があった。そこでは多くの日本人(約150万人)が開拓民として移住していた。国策として、特に貧困に喘いでいた農村から移住者を募って満州に送り込んでいたのだ。しかし、敗戦が濃厚になった終戦直前、日本軍は彼らを見捨てて撤退してしまう。残された開拓民たちは逃げ惑う中、とくに女性や高齢者が命を落とし、数千人の子どもたちが離ればなれになり、孤児となってしまう。その中で現地の中国人に拾われ、育てられた人が後に「中国残留孤児」と呼ばれるようになる。
1972年の日中国交正常化以降、帰国事業が日本国によって進められ、彼らの帰国が実現する。しかし、帰国後の国からの支援はほとんどない。彼らは帰国時には中高年となっていて、日本語や日本の生活習慣も分からず、仕事を得ることもままならない状態で経済的に困窮するものが多かった。
その問題は彼らの子どもたちである二世・三世にも影響し、教育やアイデンティティの問題で悩む人たちが大勢いる。戦後八十年たった今も「中国残留孤児」の問題は残されたままだ。
本作では日本に馴染めずに自殺未遂に追い込まれた一世、学校などでの差別やいじめに抗うために準暴力団「チャイニーズドラゴン」を結成した二世、自分のルーツを隠して暮らしている三世と、各世代の当事者たちの現在の姿を追い、この問題の根深さを訴えている。
特に、作品後半では一世・二世・三世と三世代のある家族に焦点を当てている。要介護状態となっている一世の父親、その介護をきっかけに中国残留孤児一世のための介護施設を立ち上げ、運営している女性(二世)、さらには大学受験を控えて将来について親子間で不和が生じている孫(三世)の青年。家族の中でも“自分のルーツ・アイデンティティ”についてズレが生じていて、時としてぶつかり合ってしまう。
★ キャスト&スタッフ
- 出演:竹内亮、残留孤児一世・二世・三世のみなさん
- 監督:竹内亮
★ 感想
映画の冒頭、渋谷のスクランブル交差点で若者たちにインタビューする場面が出てくる。「中国残留孤児を知っているか?」の問いに対し、全員が「知らない」と答えているのだ。このシーンだけで、いかにこの問題が日本の中で風化して忘れ去られてしまっているかが鮮明に分かる。そんな私も、この映画祭でこの作品に出会うまでは全く意識することのない問題になっていた。
中国人なのか、日本人なのかというアイデンティティの問題については、論理的に考えるところとしては余り意味がないことなのかもしれないと個人的には思っている。以前読んだ「民俗という虚構」でも語られていたように、民俗やら人種やらは“定義”として曖昧すぎる。集合体としては周辺がぼやけすぎている。
欧米だけかと思っていた極右勢力の伸長が日本でも起きている昨今、排外主義的アジテーションが色々なところで叫ばれている。日本人を優先せよ(何から?)と主張する人たちは「中国残留孤児」の問題についてどう考えるのだろうか。「日本人なんだからもっと支援しろ」と言うのだろうか、それとも“異質なもの”として拒絶するのだろうか。
ただ、そんな言葉の定義はさておき、ルーツやアイデンティティがどうであろうと、“帰国した”と思ったら言葉の通じない場所に(二度目の!)置き去りにされた状態だったというのは想像を絶する体験だ。自死を選んだり、逆に暴力で自己を守ろうとしたことに対して自分は何か言えるだろうか。そんな人たちが今や老いを迎えて養護施設に身を寄せる状態になっている。今まででさえ孤独の中に閉じ込められていたのに、さらに孤立している人が多いとのこと。死を迎えるその日まで苦しみから解放されない境遇はなんと言っていいか分からない。
映画祭での上映と言うこともあり、終了後には監督と、作品に登場している親子(二世・三世)が登壇。会場から質問も受け付けたりして盛り上がりました。その際に監督から「自分の仕事は記録をすることだ。後は観た人が考えてほしい」と言った主旨の言葉があったのですが、いやいやこれだけの内容を調査記録するのは偉い大変だ、こっちももっと考えなきゃいけないなと素直に思えたのでした。
この映画祭がなければ出会えなかった作品。出会えて良かった。
★ 公開情報
- 公開日:2025/11/07(Fri)
- 主な上映館:角川シネマ有楽町、cinemarosa.net、アップリンク京都、他
- 公式サイト:『名無しの子』 – 日中合作ドキュメンタリー映画


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