「生誕100年 石元泰博写真展 伝統と近代」

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美術展・写真展
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東京オペラシティ アートギャラリーで開催中の「生誕100年 石元泰博写真展 伝統と近代」内覧会に参加してきました。

例によって特別な許可をいただいて写真撮影しています。通常は撮影禁止ですので、ご注意願います。

なお、一部エリアでは指示に従って撮影が可能な場所もあります。

展示内容

東京都写真美術館と共同で企画・開催されている本展。公式サイトの説明によると

アメリカに生まれ、シカゴのインスティテュート・オブ・デザイン(通称ニュー・バウハウス)に学んだ写真家石元泰博(1921-2012)は、対象の構造的、空間的特性を鋭く捉えた作品によって、写真界はもとより、広く建築、デザイン、美術にわたる戦後日本の芸術界に大きなインパクトを与えました。
(中略)
2021年は石元泰博の生誕100年にあたります。この記念すべき年に向け、石元の足跡を過去最大規模で回顧する展覧会シリーズを当館と東京都写真美術館、高知県立美術館との共同で開催いたします。本展は「伝統と近代」を切り口として、作家活動の前半に軸足を置き、多様な被写体を貫く石元の眼差しに注目します。
(後略)

生誕100年 石元泰博写真展 伝統と近代[展覧会について]|東京オペラシティアートギャラリー

とのこと。

アーティスティックなデザイン写真、街角のスナップ、建築物、仏画・仏像など、様々な被写体を写し続けてきた石元泰博の作品は、その著作権も含めてほとんどのものが高知県立美術館に設けられた石元泰博フォトセンターに寄贈されている。それらの中から、テーマ別に作品を集め、展示したのが本企画展。展示構成は以下の通りとなっている。

  1. 初期作品
  2. シカゴⅠ
  3. 東京Ⅰ
  4. 桂離宮
  5. シカゴⅡ
  6. 東京Ⅱ
  7. 日本の産業
  8. 周縁から
  9. ポートレート
  10. 近代建築
  11. イスラム 空間と紋様
  12. 両界曼荼羅
  13. 歴史への溯行
  14. かたち
  15. 食物誌/包まれた食物
  16. 伊勢神宮

戦前、米国サンフランシスコで生まれた石元泰博は、幼少期に両親の郷里である高知県に戻り、高校卒業までを過ごす。その後、渡米をするも太平洋戦争勃発により、かの収容所生活を送ることになってしまう。戦後になり、シカゴのニュー・バウハウスで写真技術や造型美術を学び写真家としてのキャリアをスタートさせた。

初期の作品には造型・デザインを対象にしたものが多い。

一方で、シカゴの街角で撮影したスナップ写真も多く製作され、被写体の多様さが既に発揮されている。
街行く人の姿と影、影だけ、人のシルエットと、定点観測的ながらそれでいて多様な姿を見せる被写体の違いが面白い。

来日し、桂離宮をテーマに作品造りをすることとなった彼は、丹下健三ら建築、デザイン、美術の各界著名人と出会い、互いの意見を聞きあったそうだ。
そして、桂離宮の敷石などを被写体にした作品を生み出し、モダニズムの観点で桂離宮の美しさを再発見していった。

建物の一部を切り取ったこれらの作品は、ピート・モンドリアンの作品「コンポジション」のような造形美を見せている。

東京の山手線各駅周辺の街並みを被写体にした作品では、新宿の雑居ビルや街中の看板、高層ビル群を背景に、手前に広がる民家など、当時の東京の様子をリアルに捉えている。

東京をテーマにした作品群には、街行く人々を写したものに並んで、東大学生運動の現場も含まれている。散乱したブロックや、学生と機動隊が対峙する安田講堂も、その時代では“日常風景”だったのかも知れない。

建築物を被写体にした作品も多く展示されている。石元泰博は、丹下健三、菊竹清訓、磯崎新、内藤廣など、数多くの建築家たちの作品を撮っている。その対象は、シカゴの建築物にまで及んでいて、1960年代から街を撮り続けていた。

一方で、京都東寺の曼荼羅図を接写拡大したシリーズも製作・発表する。展示室の四方の壁に展示された仏たちの姿に囲まれ、圧倒されてしまいそうな空間になっていた。

人の肉を喰らい、血を飲む餓鬼たちの姿は、穏やかな表情の仏たちとは対称的で、人の世の無情と極楽との差を際立たせていた。

さらには、日本各地の歴史・伝統を捉えるべく、石仏や観音像なども取材・撮影している。曼荼羅図の仏たちとはまた違った、地元に溶け込んだ石仏たちの姿は、その土地に暮らす人々の雰囲気を伝えてくれている。

造型・デザインを学んだ石元泰博は、ものの形自体からもその美しさを見いだしていたようで、日常の品々や自然の中の生き物たちかを対象にした作品も残している。

そして、その対象は食品パッケージにまで及び、それらの存在の面白さを教えてくれている。

関連資料として、石元泰博のパスポートや、各種レターなども展示されていて、さらには略歴(といっても、壁数メートルに渡った長い、長いもの)も紹介されていた。

生誕100周年を記念する、大回顧展であった。

撮影可能コーナー

二箇所で撮影可能エリアが設けられていました。この案内が貼ってあるので分かると思います。
撮影は床に示された枠の中からに限られますので注意してください。

OPPO Reno 10x Zoomの広角モードで撮影してみました。なにせ、撮影場所が細長い部屋の端に設置されているので、こんな感じで広角で撮るか、パノラマモードにした方がいいかも。

もう一箇所は「伊勢神宮」の展示エリア。鳥居の前に立って写せば(誰かにシャッターを押してもらえれば)、伊勢神宮にお参りしたような“記念”写真が撮れそうです。

感想

東京都写真美術館で開催していた「生誕100年 石元泰博写真展 生命体としての都市」も観たんですが、その時はまだ“石元泰博の凄さ”を読み取れなかったのかも。でも、今回の企画展を観て、「なんか凄いぞ、この人!」となったのでありました。

そして、経歴を知ってさらに「凄いなぁ!!」の感想が深まった。まずなんと言っても、被写体の多様さに驚く。デザイン画のようなものから、街角スナップ、近代建築物に神社仏閣、そして仏画や仏像。さらにはイスラムの寺院なども対象にしている。あと、ちゃんとした(?)ヌード作品まであった。

年齢とともに画風を変えていったり、対象を変えていったりする画家や写真家は多いでしょうが、最初から色々なものを相手にして、そしてなによりも、どれも素晴らしい作品になっているのが凄い。
シカゴの街角の写真がまずカッコいい。雪が降り積もる自動車だったり、通行人の影だったり。その一方で、海水浴場では人々のコケティッシュな姿を捉えていて、同じ街中を色々な角度から写している。

そして、同じ目線で東京の街を写すと、そこにはかっこよさも、ユーモラスも、そして人々の喜びや辛さも捉えている。さらには、工場の風景とともに産業廃棄物なども並んでいて、社会派の一面も見せる。いやぁ、幅広い。

曼荼羅や仏像のシリーズも凄い。接写大写しで曼荼羅の持つ迫力を倍増させて見せてくれた。曼荼羅というと、仏たちの配置や幾何学的構成という、全体感に目が行ってしまうのだが、部分部分もこんなに魅力的なのかと教えてくれた。そもそも、“仏たちのカタログ”というイメージがあったんだけど、餓鬼やら独鈷やら灯明やら、色々なものが描かれていたんですね。なるほど、曼荼羅は世界の仕組みを表した図であると納得。そんなことも感じさせてくれる作品も撮っているところがこれまた凄い。

一生精力的に、そして次々と新しい分野に挑戦していくその生き様にそもそも感心してしまった。戦中、米国で日本人収容所に収容されてしまったという経験からして、若くして苦労したのだろうと思われるのだけど、その分、戦後の怒濤の時代を駆け抜けていったのでしょう。

展示点数の多さも相まって、圧倒されてしまいそうになりました。これは観るべき写真展ですよ。

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