「エゴン・シーレ」展 夭折の天才の作品はドーンと迫ってくるものがありました

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エゴン・シーレ展 美術展・写真展
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東京都美術館で「エゴン・シーレ」展を観てきました。

この企画展では一部作品に限って写真撮影OKです。対象作品を確認して撮影してください。
また、三脚・フラッシュNGなどの注意事項にも従ってください。

展示内容

公式サイトの説明によると

本展は、エゴン・シーレ作品の世界有数のコレクションで知られるウィーンのレオポルド美術館の所蔵作品を中心に、シーレの油彩画、ドローイングなど合わせて50点を通して、画家の生涯と作品を振り返ります。加えて、クリムト、ココシュカ、ゲルストルをはじめとする同時代作家たちの作品もあわせた約120点の作品を紹介します。夭折の天才エゴン・シーレをめぐるウィーン世紀末美術を展観する大規模展です。

みどころ | レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才<オフィシャルHP>

とのこと。

展示構成は以下の通り。

  • 第1章 エゴン・シーレ ウィーンが生んだ若き天才
  • 第2章 ウィーン1900 グスタフ・クリムトとリングシュトラーセ
  • 第3章 ウィーン分離派の結成
  • 第4章 クリムトとウィーンの風景画
  • 第5章 コロマン・モーザー 万能の芸術家
  • 第6章 リヒャルト・ゲルストル 表現主義の先駆者
  • 第7章 エゴン・シーレ アイデンティティーの探求
  • 第8章 エゴン・シーレ 女性像
  • 第9章 エゴン・シーレ 風景画
  • 第10章 オスカー・ココシュカ “野生の王”
  • 第11章 エゴン・シーレと新芸術集団の仲間たち
  • 第12章 ウィーンのサロン文化とパトロン
  • 第13章 エゴン・シーレ 裸体
  • 第14章 エゴン・シーレ 新たな表現、早すぎる死

当時、最年少でウィーンの美術学校に入学するも、旧態依然とした学風に馴染めずに退学してしまう。でも、彼の才能は確かなもの。かのグスタフ・クリムトをして「才能があるどころか、ありすぎる」と言わしめたとか。そんなエゴン・シーレは自ら新芸術集団を立ち上げ、独自の道を進んでいく。そして、独自の表現主義的画風を確立していく。

特に、自画像を多く描いている。自分自身を見つめ続け、内面や性をむき出しにしていく。そこには、当時の世間の常識から逸脱した創作活動に対する非難などからくる孤独や苦悩が滲み出ているのだろう。
極端にねじ曲がった姿勢。さすがにこの姿勢でモデルになるのは厳しい。実際にどんな姿勢だったかは分からないが、何かを訴える力は強烈だ。彼の心の内は、こんな風にがんじがらめの状態になっていたのだろう。

「第9章 エゴン・シーレ 風景画」のコーナーのみ写真撮影OKです。
と言っても、ただの風景画ではないようです。心象風景とでもいうのでしょうか。ウィーンが性に合わなかったのか、出ていきたかったそうです。そんな彼が描いたウィーンの“風景”はこんな風に写っていたようです。木枯らし吹く都会の殺風景というところでしょうか。

エゴン・シーレ展

そして移り住んだ街がクルマウ。亡き母の故郷だそうです。こちらは色鮮やかな家並みが続いていて、いかにも楽しそう。とても分かり易い対比。こんな面もあったんですね、エゴン・シーレには。

エゴン・シーレ展

グスタフ・クリムトを始め、同時代の画家たちの作品も多く展示されている。
コロマン・モーザーはウィーン工房を設立し、デザイナーとしても活躍した。彼の絵画は自然とは異なる色彩を帯びている。「洞窟のビーナス」は光と影を黄色と紫で表すなど、独自の表現を確立していた。

オスカー・ココシュカもウィーン工房に参加し、詩人、劇作家としても活躍した。厚く塗った絵の具を掻き取るといった独自の手法のせいか、描く対象の内面をえぐるような画風だ。

感想

分離派の美術展のポスターは、縦長で平面的な構図がいかにも浮世絵を思い起こさせる。ジャポニズムの影響力がとても強かったことを再認識させられる。グスタフ・クリムトやエゴン・シーレの絵画も、背景が金・銀の正方形を並べたものがあった。あれは狩野派の屏風絵を連想させる、非常に見慣れたものだった。

エゴン・シーレは表現主義の力強さが全面に漲っている肖像画が有名なせいか、初期の作品、そして第一次世界大戦後の作品の写実的で柔らかな雰囲気のタッチに驚いた。一方で私生活では、ウィーンの喧騒さに嫌気が差して母親(すでに死去)の故郷に移り住んだのに、野外でのヌードデッサンなどで住民を驚かし、非難を受けて追い出されてしまったとか。芸術家とはいつの世でも破天荒なものなのだろう。まあ、この場合は住民たちの気持ちの方に私は賛成票を投じるだろうけど。

芸術で世界を制すると息巻いていたエゴン・シーレさん。実際、その様になったわけだけど、若くして”スペイン風邪”でなくなってしまったとか。しかも、数ヶ月前には師匠でもあったグスタフ・クリムトが死去し、さらには結婚したばかりの奥さんもスペイン風邪でなくなっている。エゴン・シーレ本人は奥さんが亡くなって数日後に世を去ったのだそうだ。尊敬する人、愛する人の死を見てから死なねばならなかったとは、なんとも辛い話だ。自身の作品のテーマに「死」を多く用いていたエゴン・シーレ。観念的に捉えていたものが目の前に次々と起き、さらには自身もこうも早く死を迎え入れねばならないとは。そんなことを考えると、彼の作品の重みが更に増してくるようだ。

骸骨のような風貌の男が背後から覗き込んでいる作品は、まるで「死の舞踏」の一枚のようだ。誰も死から逃れることはできない。スペイン風邪で死の床についていた彼には、そんな死神の姿が見えていたのだろうか。 

以前、ウィーンに旅行に行ったとき、セセッション館やベルヴェデーレ宮殿でグスタフ・クリムトの作品を観たことがある。でも、レオポルド美術館には行ったことがない。いつかもう一度、ウィーンを旅してじっくりとエゴン・シーレの作品を観てみたいものだ。

美術展情報

エゴン・シーレ展

コメント

  1. 中野 潤子 より:

    3月30日に上京しますので、これは行けそうです。ご紹介ありがとうございます。

    • bunjin より:

      (今のところ?)事前予約制なので、お忘れなく。公式サイトを見てください。