「芳幾・芳年-国芳門下の2大ライバル」展 :浮世絵師たちは明治の時代をどう迎えたのか

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「芳幾・芳年-国芳門下の2大ライバル」展 美術展・写真展
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三菱一号館美術館「芳幾・芳年-国芳門下の2大ライバル」展を観てきました。

この企画展では一部作品に限って写真撮影OKです。対象作品を確認して撮影してください。
また、三脚・フラッシュNGなどの注意事項にも従ってください。

展示内容

落合芳幾(よしいく)、月岡芳年(よしとし)は、名所絵・美人画・役者絵や戯画と幅広く手掛けた歌川国芳の弟子たちだ。

兄弟子の芳幾は、安政2(1855)年に江戸を襲った大地震の惨状を写した錦絵で名声を得る。明治に入ると「東京日日新聞」の創刊に参画して記事を錦絵にしたり、挿絵を描くなど、転身を図った。

弟弟子の芳年は、師匠の国芳を踏襲して武者絵を多く描くが、スランプに陥り神経を病んでしまう。回復後、明治になると西洋画の技法を武者絵に採り入れるなどして新たな画風を生み出す。が、晩年には静謐な作風で江戸回帰を志向した。

展示構成は以下の通り。

  • 芳幾と芳年
  • 二人の師、国芳
  • 国芳からの継承
  • 肉筆画
  • 同時代の絵師たち
  • 新聞錦絵
  • 月百姿

国芳門下の二人はいわゆるライバル関係にあった。だが、国芳の死後五年後には「英名二十八衆句」シリーズを共作しており、犬猿の仲という訳ではなかったようだ。とは言え、グロテスクな場面を描くこのシリーズにあって二人の画風は違いを見せていた。

国芳の得意とした武者絵。それを引き継ぎ、芳幾と芳年も自らの画風にアレンジした作品を残している。本展示では、三者それぞれの作品が展示されていて、同じ人物(斎藤道三だったり、松永久秀だったり、荒木村重だったり)を描いていても、各人の特徴が出ていて、比べてみると分かり易い。

一部の展示は写真撮影がOK。

芳年の「羅城門渡辺綱鬼腕斬之図」。源頼光に仕える四天王の一人である渡辺綱は、鬼に拉致されそうになった時に、鬼の腕を切り落として難を逃れたという伝説がある。鮮やかな色使いと、迫力ある構図でその劇的な場面を描いている。

芳年「美談武者八景 長篠の夜雨」。褌姿で貼り付けにされた絵が有名な鳥居強右衛門。この絵は、徳川家康に援軍要請をするため、武田軍に包囲された長篠城から抜けだした鳥居強右衛門の脱出劇を描いたもの。堀の水の描き方に特徴があるようだ。

江戸時代が終焉を迎え、明治になると絵師たちは新たな分野に進出して生き残りを図っていった。その一つが新聞の挿絵。今で言えば“報道写真”のようなものだ。ます、それに挑戦していったのは芳幾だった。東京日日新聞で次々と作品を描いていく。

「芳幾・芳年-国芳門下の2大ライバル」展

一方の芳年も、芳幾に遅れること一年、郵便報知新聞で挿絵を描いてく。

「郵便報知新聞 第五百八十九号」では、大酒飲み競争で急死した男が、実は生きていて墓から這い出してきた、というニュース。“生き返った”男を見た者たちが驚き慌てふためいている様子が滑稽に描かれている。

新たな分野に挑戦し、時代の変化についていこうとした二人だったが、芳年は晩年、“原点回帰”的に江戸時代の画風に戻ろうとする。「月百姿」シリーズがそれだ。月を背景に、歴史上の人物の姿を描いている。「月百姿 竹生島月 経正」は、琵琶の名手として知られる平経正が、びわこにうかぶ竹生島で琵琶を奏でたという逸話を描いたもの。

感想

三菱一号館美術館が改装前最後の企画展ということもあり、観に行った。お目当ては、国芳や芳年の描く松永久秀の武者絵。最近、今村翔吾の「じんかん」を読んで、シンパシーを感じていたからでしょうか。

浮世絵と違って、絵に説明文の書かれている作品が多かった。当時の人々にとっては挿絵、もしくは漫画に近い感覚だったのだろう。くずし字ではあるものの、江戸の終わり、明治の初め頃の作品なので、なんとか読める。逆に、読めるがゆえに読んでしまう。お陰で観終わるのにいつもの倍くらいの時間がかかってしまった。でも、その分、とても興味を持て、楽しめた。肝心の松永弾正久秀だが、説明文もやはり”大悪人”として書かれていた。
その他、TV番組や書籍で人物紹介をする時に使われる”肖像画”代わりの作品も多く、馴染み深いものがいっぱいだった。荒木村重は特によく見る。「ああ、この絵が使われていたのか」と、お宝を再発見した気分だった。有名な武将たちをこれだけまとめて描いた作品群だから、そこからのチョイスもしやすいし、まさに「武将カタログ」として使われるようになったのだろう。昨年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でお馴染みになった武将たちも数多く取り上げられていて、演じた俳優の姿と頭の中で比べながら見ると、また一層楽しめた。

江戸時代が終わり、明治の世の中になってからの芳幾・芳年の頑張り、画家としての生き残りの努力に感心した。新聞という新しいメディアを利用し、テーマも時代に合わせて皇国史観的なものを取り入れたり、新聞記事の挿絵として事件の現場を描いてみたりしている。それでいて、芳年は晩年近くになって「月百姿」シリーズと銘打って、伝統的とも言える画風に立ち戻り、テーマも古典から取っている。自分が本当に描きたかったのはこういうものだ、と言わんばかり。激動の時代を生き抜いてきたからこそたどり着いた境地なのだろうか。 

日本の歴史の中でもかなり大きな変換点だったろう、江戸から明治への流れ。芸術の面でもこんなことが起きていたんだと学べました。いや、面白かった。

美術展情報

コメント

  1. 中野 潤子 より:

    ここも行けそうです。今回は箱根も含めて結構見て回れそうです。

  2. 小池妙子 より:

    月岡芳年の作品は見てましたが、弟子の存在は知りませんでした。江戸から明治に移って、新聞の挿絵を引き受ける、時代と共に注文主も変わり、新聞で大衆に知られていく、なるほどと思って読みました。5月の連休の時にでも行ってみようかしら。

    • bunjin より:

      残念ながら、この企画展はもう終了してしまいました。しかも、三菱一号館美術館は改修のため長期閉館となっています。